銀座サワモトの歴史は日本の紳士洋服産業の歴史です
1892年(明治25年)銀座にて、澤本岩吉により紳士服地切売り卸しを創業。
当時は我国の生活様式が洋式文化の導入時期であり、男子の装いも和服より活動的な背広服へと移行、紳士の服装も洋式化されました。 創業の時代にあっては、最先端の事業であり誠に輝かしいスタートで全国津々浦々の注文洋服店はもとより百貨店の紳士オーダー部より、服地の受註が多く、その当時は銀座サワモトのトレードマークのマーク見本を店頭に陳列してあれば一流注文洋服店と認知され、百貨店にあっては流行の最先端商品を取り揃えることが出来る紳士毛織物卸しの納入業者として業界間でも注目を浴びていた。
背広の語源はいくつかあるといわれていますが、そのひとつに英国 ロンドンにある高級洋服店が建ち並ぶ “Savile Row”(サヴィルロー)という通りから名付けられたという説があります。その”Savile Row”(サヴィルロー)に足しげく通ったのが2代目・澤本 巌です。英国留学し英国人に「ピーター澤本」と呼ばれていた2代目は毛織物を研究し、高級紳士服地メーカーの工場を訪ね、毛織物を自分の眼と手で確かめて交渉、買付を行った。
1922(大正12)年に英仏国製絨直輸入商、合資会社澤本絨店を設立し、英国および仏国より紳士服地の直輸入を始めた。それにより販売の拡大を図り、取扱商店の充実を図った。その5年後には、服地に用いる毛織物(=羅紗)を解説した『羅紗名称略解』(A Brief Explanation of Names of Cloth)をまとめ、刊行した。
こうして当社は、業界の草分け的な役割を果たし、最先端の事業で信頼と実績を作り、流行の服地を豊富に取り揃え、服地卸商として全国の注文洋服店や百貨店と取引きしたことで注目を集めた。我国にあっては、紳士毛織物の卸商としての地位は不動のものとなり、商売は隆盛期を迎えた。
1944年(昭和19年)には、戦時企画整備により一時休業したものの、1950年(昭和25年)には、繊維品統制撤廃を機会に再度現在地にて紳士毛織物商として開業し、戦後の経済の発展と共に紳士毛織物の卸商も発展し、その市場活況を呈し、全国の注文洋服店及び百貨店の紳士誂服も売上が大幅に伸び、注文洋服は「黄金の時代」を迎え、それに伴い銀座サワモトも大きく発展した。
しかし、1960年代には、紳士服既製服メーカーが急成長し、生活様式の変化と共に「すぐ着られる洋服」としてプレタポルテが発達し、その消費需要を急激に拡大、1970年代には都市郊外に紳士専門の量販店が出店され、価格についても安く販売、その市場は拡大した。 1980年代以降、大型スーパーでも郊外型紳士服チェーン店に対抗して低価格のスーツを生産コストの安い中国で縫製大量輸入を計り廉価販売、市場競争激化の時代となった。 それに伴い注文服の市場が縮小することになった。
そのなかで、当社は昭和49年頃より高級紳士服地の輸入・卸に加え、オーダーメイドのうけたまわりを始めた。
また、昭和63年に旧本社ビル隣に「サワモトショップ」を開設し、顧客拡大に努めた。
現在の厳しい紳士服市場にあっては時代の変化に合わせ、企業も変革を行って行かなければならない。特に流行を取り扱う業界にあっては、革新的な変化が必要である。「高度経済成長」社会から「高度情報化」社会へと時代が変化し、消費者の欲求も変わり、洋服に対しても価値観が大きく変化している。本物・高級志向商品を購入する欲求があるものの、一方では低価格の商品をも購入するというように購入される商品も多様化の時代となった。
当社は、1997(平成9)年、紳士服地の歴史を担ってきた出発点の地に自社ビルを建設し、大きく生まれ変わった。1階から4階までは女性のための海外ファッションブランドや美容室などに空間を提供し、当社は最上階の8階に紳士服地とオーダーメイドのためのショールームを設けた。このスペースを使って、伝統や歴史を守りながら、新しいものを拒まずに銀座から世界へ情報発信していく。
創業130年の伝統と信用を重んじつつ、世界のファッション界の中心地の一つである銀座にて、新しい情報の収集・分析を行い「紳士ファッション」流行の発信地たる地位を確保するため、日々、邁進している。